「資格なんて、取っても意味ないよ」。——この一言を、私は数えきれないほど聞いてきた。飲み会の席で、上司から、ネットの片隅で、そして時々、参考書を開いたまま固まっている自分自身の頭の中で。正直に言う。半分は、そのとおりだと思っている。
だから今日は、資格を持ち上げる話はしない。むしろ逆だ。資格は万能じゃないということを、まず正面から認めたうえで、それでも私が机に向かい続けた理由を、できるだけ正直に書いてみたい。きれいごとは抜きにして。
正直に言う。資格は、思っているほど何も保証してくれない
合格通知が届いた日のことを、今でも覚えている。封筒を開けて、自分の番号を見つけて、小さくガッツポーズをした。世界が変わると思った。少なくとも、何かが変わると。
でも、次の日も、その次の日も、世界は驚くほどいつもどおりだった。給料が跳ね上がったわけでもないし、職場で急に一目置かれたわけでもない。資格というのは、取った瞬間に何かをくれる魔法のチケットではない。そこは、はっきり言っておきたい。「意味ない」と言う人の言い分には、ちゃんと一理あるのだ。
資格は「鍵」であって、「ドアの向こうの景色」そのものではない
ただ、しばらくして気づいたことがある。資格は、たとえるなら一本の鍵だ。鍵そのものは、ただの金属の塊で、それ自体が何かを生み出すわけじゃない。けれど、鍵がなければ開かないドアというのは、世の中に確かに存在する。
応募の最低条件にその資格が書かれている求人。任せてもらえる仕事の範囲。話を聞いてもらえるかどうかの、最初の数秒。資格は、その向こうの景色を約束してはくれない。でも、ドアの前に立つ権利だけは、確かに手渡してくれる。立った先で何をするかは、結局また自分次第なのだけれど。

白猫:資格は鍵。ドアの前に立てるだけでも、立てない時よりずっといい。開けた先でがんばるのは、それからの話だよ。
夜に「もう完璧だ」と思って寝た翌朝、私は半分も思い出せなかった
勉強そのものは、惨めなくらい地味だった。ある夜、苦手だった分野をようやく理解できて、「よし、今日でこれは完璧にした」と意気揚々と布団に入った。ところが翌朝、机に向かって同じ問題を解こうとしたら、半分も出てこない。昨日のあの手応えは、いったいどこへ消えたんだ、と本気で天を仰いだ。この“覚えたそばから忘れる”現象については別の記事にも書いた。
そんな朝が、何度もあった。覚えては忘れ、わかったつもりになっては裏切られる。その繰り返しのなかで、「こんなことして、本当に意味があるのか」という声が、自分の内側からいちばん大きく聞こえてきた。外野の「意味ない」より、よっぽど効いた。
それでも私が参考書を閉じなかったのは、結果より「続けた自分」が欲しかったからだ
では、なぜやめなかったのか。立派な理由があったわけではない。ただ、このまま「どうせ意味ない」と言って投げ出す自分を、これ以上増やしたくなかった。それだけだ。
仕事で疲れて帰ってきて、それでも一日二十分だけテキストを開く。眠い目をこすって、昨日忘れたところをもう一度なぞる。その二十分の自分は、誰も見ていない。褒めてもくれない。けれど、その積み重ねだけは、まぎれもなく本物だった。合格という結果は運も絡む。でも、続けたという事実は、一〇〇パーセント自分のものだ。

黒猫:合格は運も絡む。でも、誰も見ていない夜に机へ向かった事実だけは、運じゃない。それは誰にも取り上げられない。
「意味ない」と言う人は、たいてい、自分の手を動かしていない
少し意地の悪いことを書く。これは私の周りで見た範囲の話だが、「そんなの意味ないよ」と声高に言う人ほど、実際にはその勉強を一度もやり通したことがなかった。やってみて意味がなかった、ではなく、やる前から意味がないことにしておきたい——そういう響きが、どこかにあった。
もちろん、本当に必要のない資格を冷静に見極めるのは大事だ。手当たり次第に取ればいいという話ではない。ただ、挑戦しない理由として「意味ない」を使い始めると、それは恐ろしく便利な言い訳になる。気づけば、何にでも貼れる魔法のシールになってしまう。私はそのシールを、自分の人生にあまり貼りたくなかった。
受かったあと、本当に変わったのは肩書きではなく、自分の中の物差しだった
結局、合格して何が変わったか。冷静に振り返ると、肩書きが一行増えただけ、とも言える。でも、自分の内側では、もっと静かで確かな変化があった。「やると決めたことを、最後までやり切った経験」が、一つ手元に残ったのだ。
これは次の何かに挑むとき、地味に効いてくる。新しい仕事を前に怖気づきそうになっても、「あの地味な夜を越えられたんだから」と、自分を少しだけ信じられる。資格が直接くれたものではない。資格を口実に、自分が自分に証明したものだ。これだけは、誰が「意味ない」と言おうと、私からは取り上げられない。
だから、迷っているあなたへ。意味は、取る前ではなく、続けた先に生まれる
もし今、参考書を前にして「これ、意味あるのかな」と手が止まっているなら。その問いに、最初から正解を出そうとしなくていい。意味があるかどうかは、取る前にはわからない。少なくとも私には、わからなかった。意味は、続けた時間のなかから、後になってじわじわと立ち上がってくるものだった。
資格は人生を保証しない。それは本当だ。でも、地味な夜を越えた自分は、ちゃんとどこかに残る。万能じゃないものに、自分なりの意味を見つけにいく。私はそれを、そんなに悪い時間の使い方だとは思わない。
「意味ない」と言われて始めた勉強の意味は、たいてい、最後まで続けた自分の中にだけ、こっそり残っている。